不登校の親子関係で深刻なケース~こどもを愛せない

[:ja]子育ての悩みを共有し、不登校の対応、親子関係、人間関係全般の問題の解決方法を探ります。

不登校のこどもを愛せないあなたへ

このブログでは、他のブログに書いていあるようなことは書きません。

できるだけ事実に即し、深く切り込んだ部分も書いていきたいと思います。

表題を見て「不登校でも自分のこどもだ、愛せないなんてそんなことは絶対にない!」「このブログの管理人は許せない、不登校でもこどもを愛していることには変わりない!」ともし深く反感を覚えるようであれば・・・

反感を感じ、しかもその反感が強ければ強いほど、深い部分で「自分はこの子を愛せてない」と感じている可能性が高いです。

そういう自然な感情は、親子関係という範囲を超えて、存在しても不思議ではありませんし、むしろそう感じるのは自然なことかも知れません。

ここでは、「不登校のこどもを愛せない場合の気持ちの持ち方」と、「実際の対処法」をお伝えします。

不登校のこどもを愛せない心理

まず初めに言っておきますが、この「愛せない」という現象は、一時的に生じるもので、ずっと永続的に愛せないとか、憎んでいるという状態ではないことです。

これだけは断言できます。

親はたとえ親であるからと言って、こどものことを常に全力で愛している、ということはありません。

子育てをされているかたはご存知と思いますが、子育ては、親の時間と労力を遠慮なしに凄まじい勢いで奪っていきます。

そこにきれいごとはありませんし、自分の人生をある程度犠牲にしているのです。

そんな一方的に与える関係において、「いつも100%、どんなこどもでも愛しているし、愛せないなんて許せない」というのは、正直きれいごとです。

もし不登校のこどもが、一日中家にいて、ゲームばかりして、親の言うことを一つも聞かず引きこもって、かつ悪態をついたり特に暴れたりしたとしたら、「この子を常に100%愛するなんて無理だ・・・」と思ってしまうのは、自然なことです。

そこを過度に潔癖に、「こどもを愛せないなんてわたしはひどい母親だ」的に思って自分を追い詰めると、母親自身の精神が病んでしまいます。

不登校のこどもを100%愛せないのは当たり前のことで、自分の素直な気持ちを受け入れましょう。

いろんな不登校関連ブログを読むことで感じたこと

例えばネット上に、いろいろな不登校関連のブログがあります。(批判しているのではなく、典型例として挙げているだけです)

特に個人ブログで、不登校関連の記事を読むとある法則が見られます

過度の愛情アピール

〇不登校の息子は、わたしや家族にあんなひどいことをしてこんなひどいことをして、おまけに不登校です

でもわたしは母親として、こんなにこどものことを愛しています

という系列のブログ。

正直、この系列のブログは不登校ブログの中で一番正統派(?)でたくさん見られるものです。

たとえば、もし本当にこどもの将来を思うなら、親にしかさらけ出せないようなわがままや、ちょっと他人には聞かせにくい言動を、ネットのような公式の場所で全世界にばらまくのことはできないでしょう。

その言動の中には、他人が聞けばあっと驚く、ちょっとあり得ないような我が子の言動も含まれます。

そして、必ずセットとして、

でもわたしはそんなひどいこどもを、こんなにも広い心で愛しているし、明るく楽しく過ごしています、というアピールで締めくくられています。

「愛しているアピール」が強ければ強いほど、実は、こどもの言動を受け入れられなくて、本人も「こどもを愛せなくて苦しんでいるんだろうな」と推察できます。

この場合、母親自身が、

本心ではこどもの言動を全く受け入れられていない

その本心を見ないようにして、愛しているアピールを外に向かって繰り返している

という矛盾、ダブルバインドに気づいていません。

過度の「不登校を受け入れている」アピール

もう一つの、不登校ブログで支持を集めているブログとして、母親が過剰に「わたしは不登校を心から受け入れてこどもを応援しているし、わたし自身楽しく過ごしている」系のブログです。

〇こどもは以前こんな優秀なこどもだったけど不登校になった

〇でも今は、不登校を受け入れて、違う道を歩くのを心から応援している

という感じです。

あまり矛盾した感じは受けないものの、たとえば不登校以前はこんなに優秀だった、という前置きを巻頭に置く時点で、かなり精神的に現状に不満を感じている印象を受けます。

そして、不登校に対して過度にポジティブな場合、逆に学校に行ってたとえば立派な大学に進学していることを「レールに乗っているだけの人生」「不登校のほうが選択肢が広がり、こどもの楽しそうで自由な発想ができる」的にさりげなく批判していたりします。

不登校のこどもを愛せないとき

不登校ブログのなかで、こどものプライバシーのかなり常識外れの部分をネットで公表していたり、不登校の良い面ばかりを繰り返し述べているブログを見ているとき、どうにかしてこの現状を受け入れ、こどもを愛そうとしている涙ぐましい努力を正直感じます。

しかし、愛情というのは、「どうしても愛さなければならない」という努力で生まれるものではありません。

もし、愛情は努力でなんとかなる、と思っている人がいたら、かなり人間の心の動き、心理をなめてかかっています。

愛情などの感情は、意志やアピールなどの人力でどうにかなるものではありません。

愛せないから愛そうと努力してなんとかなるなら、世の中の夫婦から離婚が消えますし、いさかいも憎しみも消え失せて、一瞬で恒久平和が完成します。

人は、愛そうとしてもどうしても愛せないから争いごとがおきるのです。

幸いにして、我が子の不登校という現象は、「たとえ親でも常にこどもを100%愛そうとして愛せるわけではない」という現実をくっきりと表面化してくれています。

過度な愛情アピールや、自分は心からこどもを愛しているし不登校を受け入れているというアピールをいったん辞めてみることで、自分の本心にようやく出会えて事態は解決に向かって動き出します。

この解決プロセスは、何も不登校に限ったことではありません

世の中のいかなる問題も、現状を希望的理想的に見るのではなく、現実をまず受け止めて、現実に向き合った瞬間から、解決へ向けて方向転換できます。

「こどもを愛せない」の反対の「愛する」とは?

では、「こどもを愛する」ということはどういうことでしょうか?

愛するとは、いつも100%受け入れることではありません。

100%受け入れて、右頬を殴られても左頬を差し出すことができるのは、宗教上の偉人だけです。

こどもが学校に行かずわがままし放題で、時に暴れたり悪態をついて敵意をむき出しにしてくるのを受け入れることでも、そういった言動を受け入れて尚且つ愛していることをネット上でアピールすることでもありません。

こどもを愛するとは、こどもがどんな状態でも傍にいて一緒に生きることであり、そういう状態は、世の中のこどもが不登校に悩む親たちのすべてがクリアできています。

そして、ネット上の不登校関連のブログで常に語られているような「こどもが不登校でも母親は元気に明るく」系統の言葉を真に受けて実行しても事態は悪化するだけです。

母親が明るかろうが暗かろうが、悩んでいようがどうしようが、こどもが不登校になったり再登校したりするのに影響はありません。

要は、母親は常に自然体で、こどもの不登校を心配したり、怒ったり、突き放したり、自然体のままで良く、無理にこどもに共感したり受け入れたり、学校なんて意味がないと慰めたり、そういうことをする必要はない、ということです。

こどもはどんな親なら信頼でき、本心を打ち明けられるか

不登校のこどもが何を考えているのかわからない、どうしてもっと相談してくれないのだろう的なことを考えている親御さんは多いでしょう。

では反対に、「自分ならどういう人を信頼して悩みを打ち明けるだろう」と考えてみてください。

無理に事態を明るいほうにばかり見て表面的な励ましを一方的に与えてくる人に相談したいと思うでしょうか?

或いは、内心ではものすごく悩んでいるのに、悩んでいることを無視して自分には何も問題が無いような感じの人に、敢えて悩みを相談しようと思うでしょうか?

こどもの不登校というのは、誰がどう言おうと、かなり深刻な問題です。

その問題を、さも深刻でない感じでネット上でアピールしたり、明るく楽しく暮らしていますと言っているのを真に受けないようにしてください。

もしかしたら、本当にその人は明るく楽しく、不登校を全然深刻に考えていないのかもしれません。

しかしそれは、その人だけの現象であり、そうでない人が真似をしたら失敗してしまいます。

 

まとめ

こどもは親のすべてを見抜いて感じ取っています。

こどもどころか、ネット上でも、世界中どこでも、人の心というのは他人に筒抜けで、必ず誰しもがその人の本心を見抜いています。

ということは逆に、他人やこどもに対して、どのように飾っても、どのように言い訳しても無駄であり、飾ろうがどうしようが自然体のままでも事態は全然変わらず人の評価も変わらない、ということです。

こどものことで悩むのは親の特権ですし、ネットでいろいろ情報収集して、さまざまな意見に触れてみて、「ここは自分とは違うな」という違いを発見し、自分はこんなときこういう考え方をする人間なんだ、とより深く自分に向かい合っていくプロセスを大事にしてください。

こどもの不登校が与えてくれる最大のプレゼントは、「いままで深く考えたことがなかった新しい自分との出会い」や、「自分なりのものの考え方」を発見することです。

当たり前のものが当たり前で無くなったときに、人間は爆発的に成長します。

こどもの不登校が与えてくれる成長の機会に感謝し、より深く自分を知るきっかけにしてください

こどもは親の鏡ですので、親のそういう姿勢を自然に受け入れ、新しい段階に進むことができるようになります。

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