そもそも学校って何?②不登校の子供がもし「あなたには勉強は必要ありません」と言われたら
こんにちは!「不登校のこどもを持つ親のための塾」の見守り隊、ごまちゃんです。
母親代表のりゅうかです。よろしくお願いします。
早速本題に入りますが、学校に行って勉強して何になるの・という問いがありますが、何になるんでしょう?
その質問はなんとなく、「学校なんて行ったって大して役には立たない」的に聞こえますね・・・
これはごく一部の人の意見かも知れませんが、「学校なんて無駄、行かなくても立派な社会人になれる」という意見があり、そのような考え方を「革命的」と称する人もいるようです。
そもそも学校って行って役に立つんでしょうか?どうして学校に行くことが推奨されるんでしょうか?
実はずっと昔から「学校なんて行かなくてもいい」ていう考えが主流だったのですよ。逆に「学校なんて行かなくていいよ」と言われる意味を考えてみましょう。
▼このブログに初めて来られたかたへ。下の記事で何を伝えたいか要約してあります。
Contents
為政者にとっては庶民は無理に学校に行ってもらわなくてもいい
まず、こどもたちがよくこう大人に聞いてくる質問から。
「何のために学校行って、何のために勉強するの?」
この問いには、「勉強があまり役に立たなくて、やらなくてもよいものなんではないか」的なニュアンスがあります
実はその通りです。
現に、全世界のほとんどの国では、
勉強するのは特権階級の人々だけ。
庶民には勉強なんて必要ないので、学校なんて行かずさっさと社会に出て働いてもらう。
という考え方のところが大半です
そういう意味で、
〇勉強なんてしなくていい→すぐに働いてくれたほうが社会のため
〇頭なんて使わなくていい→例えば、世界のある国のように、こどもには勉強なんてさせずに一日中5キロ離れた水くみ場に何往復もさせて水汲みをしてもらったほうがいいし、夜明けから日が暮れるまで畑の雑草を抜いていてもらったほうがいい
という国のほうが、世の中には多いのです。
先進国と言われる国でさえ、生まれたときから
「あなたには勉強は必要ありません」と宣言されて学校に行かなくてもいい人のほうが勉強する人よりもずっと多いです。
日本でも、江戸時代までは学校教育は義務ではなく、6歳7歳から働きに出て子守をしたり、お金持ちの家に奉公して働いているこどもがたくさんいました。お百姓さんはずっと、両親の農作業を手伝っていましたし。
世界的に見ても、義務教育でこどもを等しく学校に行かせるようになったのはここ100年ぐらいのことですね。
支配者、国の偉い人にとっては、実は人々が等しく学校に行って勉強し、教育を受けることを嫌がった時代のほうが長かったののですよ。
▼こちらの記事は、ゲームに取り憑かれてしまったこどもに対する対処法を紹介しています。
勉強や教育は特権階級のものだった
そもそも、学校とか教育は、長いこと特権階級つまり支配者たちの独占物でした。
文字を自在に操り、他人と意見を交換し、頭をよく鍛えて物事を考える癖をつける、物事を客観的に広くとらえ、教養豊かにし、人と議論しても負けないようにする、ということは、特権階級だけができたらいいことでした。
要するに、言葉は悪いですが、
庶民はバカなほうが都合が良かったのです。
下手に賢くなられると、すぐに反抗してくるし、これはおかしい、と気づかれるし、口が達者になってなかなか言うことを聞かなくなります。
庶民はバカであったほうが、特権階級にはありがたいのです。
だからこそ、特権階級は、今の「義務教育」のようなものをせず、庶民は文字を書けないまま、日々働いて食って寝てを繰り返すだけで満足させるように仕向けていました。
勉強や学校などの教育は、特権階級だけが受けられる武器であり特権でした。
今はもうそんな時代は過ぎ去りましたが、江戸時代武士のみが「藩校」と呼ばれる学校に通い、庶民は高度な教育に触れる機会はほとんどありませんでした。
でも「寺子屋」と呼ばれるような、庶民のこどもも行く学校があったのでは?
そうですね。庶民も寺子屋である程度の文字やそろばんを学んでいましたからね。
江戸時代の日本人の識字率は75%と言われ、日本は世界で最も識字率が高い国だったのです。
そのほかの国では、識字率が5%とかで、文字も読めない、頭を使えない、考えられない庶民を少数の賢い特権階級が支配する、という体制でした。
「国民は愚かなほうが都合が良い」という考えは「愚民化政策」と呼ばれ、ごく一般的なやりかただったのです。
▼こちらの記事では潜在的に「我が子を愛せない」と恐れを抱いている人への処方箋を記しています。
「学校に行くことができる」と喜ぶこどもたち
現代では、日本のNPOや青年海外協力隊が、途上国に行って学校を建てたり、井戸を掘ったりする活動をしています。
するとこどもたちが、とても喜んでいる。
「学校に行ける!」「勉強ができる!」「お勉強して先生になったりお医者さんになったりできる!」と瞳を輝かせています。
彼らは、勉強するよりも、水を汲んだり、雑草を抜いたり、一日中お金持ちの家の人の子守をすることを期待されていたこどもたちでした
そのこどもたちが「教育を受ける」ことにより、将来の選択肢が広がり、自分の望むどんな職業にでも就ける希望を、勉強や学校から与えられているのです。
学校で受ける教育とは、将来の希望そのもの、ということでもあります。
こういうことを言うと、「昔のことやよその国のことは関係ない、今の日本の社会で勉強する意味とは何か聞いてるんだ」という人が出てきますが・・・
昔のこともよその国も、「学校」「教育」の意味は変わりませんよね。
学校とは、「教育を授けるところ」であり、教育によって与えられた力は、「将来を切り開く武器になる」、という事実は今も昔も、どこの国であろうと変わりません。
▼こちらの記事では、誰かに相談することによって問題がさらに解決から遠のくメカニズムを解説しています。
学校に行かないのは、実は本人の自由です
「自分が受けた教育は、将来を切り開く武器になる」ということを自覚した上で、学校に行く、行かないは、本人の自由です。
「自分が受けた教育」という武器無しに社会を渡り歩く覚悟を持っているのであれば、それは誰にも非難できません。
ただ、問題は、親自身がこういうことを考えず、未成年のこどもが不登校になってしまってから、「学校にいく意味はあるのだろうか」と迷うようでは、ちょっとこどもがカワイソウです。
まずは親自身がこのことをしっかり認識して、
〇学校教育は、長い歴史を経てようやく得た権利であること
〇学校は、将来を切り開く武器になる「教育」を無償で与えてくれるところ
という有難みを認識しておく必要があります。
「選挙権」というものが、人類が長い歴史を得てようやく勝ち取った権利であるのと同じです。
人は慣れてしまうと、それによってもたらされる有難みをついつい忘れてしまうのです。
そして、いざその権利を取り上げられると大騒ぎをしてデモを起こすのです。
もし政府から公然と、
「あなたのお子さんは学校教育を受けるのに値しないので勉強しなくてよろしい、すぐに就職してください」などと宣言されたり、就職先を政府に勝手に決められたりしたら、どのような気持ちがするでしょうか。
いろいろな考え方はあると思いますが、学校教育というのは社会が長い時間かけて積み上げた歴史的成果です。それによってもたらされる希望や将来の選択肢の広さは、どう頑張っても否定できません。
でも、安易に「学校なんて行かなくてもいい」と言う人もいますよね・・・
物事は、よく突き詰めて考えて、安易に結論を出さないほうがいい、ということですね。
まとめ
教育、学校は、各人に与えられた権利であり、将来を切り開く武器です。
その武器を安易に否定して「学校なんて行かなくてもいい」という風潮というか、そういう意見を述べる人は、ちょっと考えなおしてもらったほうがいいです。
なぜなら、そのような考え方は、「歴史的葛藤を得てようやく得た人類の普遍の権利」に挑戦することになってしまっているからです。
もしその挑戦が、「自分は歴史に挑戦している」という自覚があり、最後までやり抜く覚悟があるならそれはそれで立派だとは思います。
もし、たまたまこどもが不登校になって、「学校なんて行かなくてもいい」というスタンスなら、沈黙を守り、もう一度考え直してください。
こどもはいつでも親の本音を見ています。表面だけ飾ってみても必ず見抜いています。
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