不登校児の母親は「良いお母さん」が多いってホント?真相は?

こんにちは!今回は少しテーマを変えて、「不登校児を持つ親の傾向」について見てみましょう。

母親代表のりゅうかです。タイトルによると、不登校のこどものお母さんは「良い母親」が多いというのは、具体的にどういうことなのでしょうか?

これは、何も不登校に限らず、「パレートの法則」とか「マタイの法則」とか、そういう言葉でも時々表されることです。それの応用と言えるかも知れません。

「全体の構成要素の二割が八割の成果を生み出す」
とか、
「富める者はますます富む」とかそういうお話ですか?それが不登校のこどもを持つ家庭とどう関連してくるのでしょうか?

それを今からお話します!

※このサイトではグーグル広告のポリシーにあるように、自閉症スペクトラムや発達障害などのメンタルヘルス的なことは扱いません。すべて一般論として記事を作成しています。

※反発を感じられたり、怒りを感じられる人もいると思います。そんな場合は、「そんな話もあるんだろうか」ぐらいに受け止めてください。

▼このブログに初めて来られたかたへ。このサイトで何を伝えたいか、下の記事で要約してあります。

ブログ村から来られた方々へ。下書き段階の未完成記事がPIN送信されている場合がありますのでお気を付けくださいませ。

親塾~良い母親とは①家庭を「パレートの法則」に当てはめてみる

「パレートの法則」をざっくり言うと、

全体の八割を二割の構成要素が生み出す

ということです。

例えば、

〇家庭の中での稼ぎは、父親一人で八割の収入を生み出している

〇家族でしゃべっていると、二割の人が全体の八割の会話を受け持っている

〇クラスの人気投票をすると、二割に人気が集中している

と言ったような、二割の人がほとんどの部分を持ってってしまうこと示しています。

そして、

家庭の中で、良い部分、好かれる部分、愛情を示す割合の八割を母親が持っていってしまうと、こどもは日陰の存在になりがち、ということです。

不登校児のお母さんがたはみなさん愛情深く、対外的にも「ものすごく良いお母さん」が多いですよね。

良いお母さんかどうかはともかく、よく人には「すごく頑張ってるね」とか「家族の要だね」というふうに言われいます。自分でも、「わたしが何としてもしっかりしないと」と思っています。

外から見た評価も「あそこのお母さんは素晴らしい」「お子さんが不登校で苦労していらっしゃるかも」と言われ、学校側も「お母さんはホントに理解力がありしっかりしているし話が通じる」的に評価している場合が多いです。

こちらの記事では、「不登校が発生する仕組み」と社会の役割から逃げるこどもたちのことが記されています。目からうろこの記事です。

親塾~良い母親とは②家庭を「マタイの法則」に当てはめてみる

「マタイの法則」をざっくり言うと、

持っている者は増えていくけど、持っていない者はようやく持ったものまで取り上げられていく

ということです。

お金持ちはますますお金持ちになり、貧乏な人はますます貧乏に

人に好かれる人はますます人気者になり、好かれない人はどんどん存在感を薄くする

このような現象はどんな場所でもよく見られます。

家庭の中で母親の存在感が増せば増すほど、父親の影は薄くなり、母親が良い母親であればあるほど、こどもは問題を起こしがちになる

つまり、良いところをすべて母親が持ってってしまう、ということです。

世のお母さんがたにとって、家庭内で母親の存在が大きくなればなるほど、その他の構成員が歪んだ形で存在感を示すようになってしまいます。

わたしが頑張ったらだめなんですか?わたしが頑張らないと誰が頑張るんですか?ただでさえこどもが不登校で悩んでいるのに、どうしてそういうふうに追い打ちをかけるのですか?

・・・もう少し他の人にも頑張らせてあげてみては?

こちらの記事では、「良いお母さん」が陥りがちなこどもを追い詰める行為について記しています。

親塾~良い母親とは③「お母さんはほんとにいい人なんだけどね・・・」の意味

このことについては、以前にも他の場所で述べたのですが、ものすごい反響でした。

ちなみに、良い反響ではありません。ネット用語で言うと、「炎上」です。

母親がが良い評価を受けてしまうと、こどもが日陰に追いやられてしまいます。

母親がしっかりしすぎていると、父親の影が薄くなってしまいます。

母親が頑張りすぎていると、家族の頑張る場所が無くなってしまいます。

母親が家にいて存在感を示しすぎると、こどもは狭い場所に籠ってしまうようになります。

これが逆に、

こどもさんは良い子なのに、あのお母さんはちょっと

お父さんは良い人だけど、お母さんはなんだかね~

○○君はすごい活発だよね、お母さんはどんな人だったかな思い出せないけど

のような家庭もたくさんあります。

言えることは、

家族の構成員全体の愛情や外部からの評価の八割を、二割の構成員が独占してしまっており、後の八割は残り僅かな分け前を分け合うような形になっている、と言うことです。

※これは管理人の発意ではなく、社会学や一般論として広く受け入れられている考え方を家庭に当てはめてみたものです。

わたしは自分が評価されたいとか、これっぽっちも思っていません!むしろ、こどもが不登校であることによって世間から責められている感じをいつも持っています。

「お母さんのせい」である、と世間は勝手なことを言うかも知れません。ただ、もし母親自身が「自分のせいでこどもがこうなった」と思っているとしたら、そこが問題なのです。

どういうことですか?こどもの責任を母親にかぶせてくるのは世間だし、母親もものすごく責任を感じています!

はっきりいって、不登校は母親のせいではありません。こどもの責任です。こどもの資質や環境、タイミングなどが合わさって偶発的に起きてくるものです。それを母親が「自分のせい」と感じて悩んだり、責任を取ろうとすることそのものが、「こどもの人生の一部を乗っ取る」行為なのかも知れません。

こちらの記事では、大人が「学校」の存在意義をもう一度とらえなおすものです。ただ学校へ行け、というだけでは説得力がありません。

親塾~良い母親③何が何やらわからない

ここからは別の角度から問題を眺めてみます。

不登校のこどもはほとんどの場合、「どうして学校に行かないの?」と聞かれてもきちんと理由を答えられません。

もちろん、心の中にいろんな思いが渦巻いているでしょう。

学校に行っていないことへの引け目や、勉強が遅れること、それでも学校には行きたくない、どうしても行けない、行きたいのに行けない

こどもの心の中は迷路のように入り組んで、何が何やらさっぱりわからない、という結果が「不登校」という形になっていることが大半です。

※これが、いじめや意地悪などが原因なら、ある意味解決は簡単かも知れません。奥の手として「転校」であっさり解決してしまったりします。

こどもの不登校は、すべてこどもの責任です。

ただ、こどもの「何が何やらさっぱりわからない」という心理状態は、周囲の大人が解きほぐしてあげられることがあります。

 

親塾~良い母親④大人ができる唯一のこと

不登校は決して母親のせいではありません。

母親が責任を取る必要もないし、世間から責められるいわれも無いことが大半です。

そこにあるのは、「こどもが不登校になった」という現実だけです。

そのことによって子供は、「何が何やらさっぱりわからない葛藤」に苦しんでいます。

そして、傍にいる家族も、「どうしてこうなったのか何が何やらさっぱりわからない」と戸惑い、何とかしようとするかも知れない。

しかし、「何とかしようとする試み」はほぼ失敗します。

結局、こどもも大人も、できることと言えば、目の前にある「何が何やらわからない状態」を正面から見つめ、そこから起きる感情のすべてを受け止め、消化し続けていくことだけです。

不安、焦り、苦しみ、葛藤などは、不登校でなくても社会人の大人や、青春を謳歌している女子高生や、隠居した老人でも、何かしら感じています。

はたから見たらどんなに順調に見える人でも、内面では何かに苦しみ、焼けつくような焦りや失望を抱えているかも知れません。

わたしたちは巨大な社会に対して非力で、ちっぽけな存在です。

問題を丸投げされて、黙って受け取るしかない存在です。

わたしたちができること、特に親ができることはたった一つ、せめて自分だけでも巨大な現実から湧き上がる自分だけの感情を受け止め、消化し、自分の気持ちを誤魔化さず感じ続けるだけです。

受け止め続けていくと、感情が消化されてクリアになっていきます。

そこで初めて「次に何をしようか」と思えてくることがあります。

何年後かに、子供自身が、「なんで中学のころ学校に行けなかったか、今ででもわからない」「だけど、あの時があるから今があるんだ」と笑顔で言える時がくるまで、子供と一緒に現実を受け止め続けるだけです。

受け止めた結果が「良い母親」という評価にはならないかも知れません。

「お母さんは立派だ」とは思われないかも知れません。

でも、そのほうが、こどもにいろんな分け前が行くようにもなるだろうし、結果的に家族全体が光を浴びられる場所に出られることになるでしょう。

皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。

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