どうして不登校が増えてるの?~社会がそれを望んでいるからです
こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校についての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を(ほぼ)毎日お送りしています。
母親代表のりゅうかです。
今不登校児が増えているような印象です。わたしが中学生の頃は、ここまで多くなかった気がします。
確かに増加傾向です。それには、ものすごいわかりやすい理由があります。
本日はそこを解説していきたいと思います。
社会構造上、そういう風にならざるを得ないのですから、ある意味「仕方ない」と言えるかも知れません。
ゲームがこどもに良くない影響を及ぼしても、社会の経済的利益のために黙認するしかないのと同じです。
母親はどうしても自分を責めてしまいがちになるので、社会的な理由をわかりやすくお願いいたします。
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※反発を感じられたり、怒りを感じられる人もいると思います。そんな場合は、「そんな話もあるんだろうか」ぐらいに受け止めてください。
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Contents
そもそも生き物には生存競争がある
※このサイトでは一貫して、「一般論」を述べています。特定の人を想定していません。
不登校児が増えている理由として、まず生き物の視点から見ていきましょう。
生き物は、常に生存競争をしていて、その競争に勝ち残ったものが「種」を保存できています。
今のわたしたちは、その生存競争に勝ち抜いた優良種であり、その優良種の中でも日夜生存競争が繰り広げられています。
〇生き物の生存競争は、成体(大人の体)になるまでの間が一番激しい
〇弱い個体は早いうちに淘汰されがちになる
〇人間も生き物なので、弱い個体を淘汰しようとする淘汰圧は常に存在する
こういうことは見逃されがちなのですが、人間も生き物の宿命からは逃れられません。
たとえば、こどもが夢中になるゲームや動画についてでさえ「淘汰圧の一種」として作用しています。
欲望に負けてしまい、流されてしまう弱い個体に狙いを定め、より強い側が弱い側の時間と労力を奪うことで、強い側が経済的繁栄を獲得しているのです。
生き物の社会は常に「弱肉強食」と「淘汰圧」に晒されており、個体が成体になるまでの淘汰圧が一番激しい、というのは事実として動かせません。
海のお魚も、生まれたばかりの赤ちゃんはすぐに他の生き物に捕食されてしまいます。
哺乳類の赤ちゃんも、野生では食ったり食われたりしています。
人間は捕食されることはありませんが、確かに「少数の強いものが大多数の弱いものを支配する」構図は変わりませんよね・・・
親の庇護を離れた小学生、中学生辺りの「淘汰圧」が一番激しいでしょう。
高校生ぐらいになると、「淘汰するより共存して自分の利益に貢献してもらったほうがいい」という人間特有の「生かしたほうが自分に有利」という経験則が作用するので、淘汰圧はやや弱まります。
▼こちらの記事では「ゲーム」を詳しく解説しています。「こどもがゲームに夢中になる」意味をもう一度捉え直してみてください。
人間社会には「弱者共存」のほうが都合が良い
動物の社会は「弱肉強食」と「淘汰圧」が今でも全開ですが、人間は違います。
人間は進化の過程で、「弱者も生かしておいたほうが社会を維持しやすく、より生存に有利だ」ということに気づきました。
弱いものをそのまま淘汰してしまうより、生かしておいて自分の利益に貢献してもらったほうが、より種の保存に有利になります。
そのため、「弱者も包括する社会」を長い時間をかけて作り上げてきました。
管理人のような経済的弱者も生かしておくことで、
〇弱者に物を買わせて利益を得る
〇弱者を生かしておいて働いてもらう
〇弱者にこどもを生んでもらって次の労働階級を絶やさないようにする
ために、生きるのに最低限な権利を保障されて社会に生かしてもらっています。
学校も社会の縮図そのものですので、淘汰圧をかけすぎると全体のバランスが取れなくなるので、どうにかして弱者にも学校組織に参加してもらおうとします。
不登校のこどもたちは、社会から「弱者の役割」を与えられてそこから逃げようとするものの、それでも学校社会に必要とされているので「戻ってきてほしい」とラブコールを送られ続けます。
中学校までの学校の中のこどもたちの様子は、ものすごい「淘汰圧」が存在します。
大人たちは忘れてしまっていますが、「スクールカースト」は、本場のカースト並みに強固です。
その範囲を超えた発言や振る舞いをすると、制裁を受けてしまいます。不登校児はたいてい、何度かこの「制裁」を受けているはずです。
高校になるとそのカーストがちょっと緩まるのは、「そのほうが強いものにとってより有利に居心地が良くなるから」なんですね。
小学生、中学生までは「強い子供」がどうしても力をふるいたがるので、弱者への淘汰圧が激しいです。
高校になると不登校が収まるのは、周囲も「淘汰圧をかけすぎると自分の生存にマイナス」と人間の経験則が理解されてくるからでしょう。
▼こちらの記事では、「スクールカースト」と「自分探し」に苦しめられるこどもたちについて解説しています。
それでも人間は社会からは離れられない
小中学生の時代は、生き物としての本能全開で、少し接するだけで総合的な「強弱」を見抜き、そこから全力で(無意識のうちに)その役割を個体に背負わせようとします。
スクールカーストもそうですし、塾内、部活、どこでもそうです。
この役割が嫌なこどもは、学校から逃げるか、いやいやながらも我慢して学校に通うしかありません。
ほとんどのこどもがいやいやながら学校に通うのですが、「不登校が許される環境」を得た幸運(?)なこどもは不登校になって、弱者の役割を押し付けられなくなる高校ぐらいまで家庭で過ごすようになります。
小学生のこどもの淘汰は比較的剝き出しですし、中学生は「社会性」を身に着けたばかりで、「強者」の役割のこどもは、持ち始めた権力を使ってみたくて仕方ありません。
これは、ある程度発達段階によるものです。
高校生になると、こういう「権力をむき出しにして使いたがる」こどもはぐっと減ります。
そういうものよりも「異性」に関心が向くこともあるし、「受験」や「就職」のような現実がのしかかってくるから、人を構う暇が無くなってくるからです。
そう言えば、高校時代のカーストはそんなに激しくなかったですよね・・・。
ある程度はありましたけど、窮屈で気になるほどでもなかったです。
中学生のこどもたちが一番「スクールカースト」を実践したがるでしょう。
小学生は剥き出しではあるものの、まだ親や保護者の目が光っていますから。中学生になると、大人の関心を避けながら自分の権力を広げることに熱中します。
社会が「共存」を求めるだけ「淘汰圧」は強まる
ここからは別の角度から問題を眺めてみます。
生き物の本能は弱肉強食で、淘汰圧が存在する
人間は「弱者と共存する」ことによって、社会を維持する
この相反する命題を解決するために「学校」があり、「教育」があるのです。
本来なら弱者としての役割を背負ったままで離脱していくこどもにも社会に残ってもらうため、学校は最低限の教育を授けたり、労働者として貢献してもらうために繋がりを保とうとします。
ただ、あまりに機会や教育の平等を追求しすぎると、社会のバランスが崩れてしまいます。
強者は少数で、弱者は大多数のほうが、バランスが良くて社会を維持しやすいので、あまりに平等すぎてもよくありません。
強者が増えすぎた反動として、、また別の場所で「淘汰」が自然に発生し、弱者を増やしてバランスを保つ。
それが、近年の不登校の増加ではないか、と管理人は考えています。
社会は、それ自体が意志を持って人間を組み込み、有機的に存在し続けます。
わたしたちのような個体は、社会の意志のままにいろんな役割を背負わされ、一時的に逃げたとしてもまた捕まって役割を演じることを要求されています。
でも、動物でさえ「群れ」を作って互いを守り合っているのですから、ある意味仕方ありません。
社会に縛られているぶんだけ、社会から守ってもらっている部分もあるのですから。
親塾~こどもに社会性を持たせることの意味
社会は、一方で残酷で、一方でものすごく優しいです。
強者が君臨できるようにしてあるのと同時に、弱者にも生存の機会を与え、その代わりに労働したり奉仕したりする役割を背負わせてきます。
こどもの不登校は、そういう社会の縮図の一つです。
あまりにも強者に権力が偏るのもマズいし、
あまりにも弱者に甘いのも、社会構造上良くありません。
こどもたちは、「学校」と言う社会から与えられた役割を背負わされ、今日も懸命に生きています。
いつの間にか「弱者」の役割を与えられたこどもは、反発しますし、耐えられなくなりますし、できるなら不登校になりたいと思っている子が大半です。
なぜなら、
社会は、強者二割、弱者八割で、この割合は、人間が文明を持ってからもずっと変わりません。
高校生、大学生になると、社会的な役割に反発することなく自然に受け入れられるようになります。
管理人も、社会的には明らかに「弱者」で、できれば逃げ出したいですが、社会から与えられる優しさに甘えて今日も生きています。(それが社会の「手」です。弱者に離脱されたら困るから、飴をなめさせているだけ)
「不登校」は、社会が勝手にこどもに押し付けてきた役割に反発している姿、と捉えてみましょう。しかもそれは期間限定です。高校生になると収まることが多いです。
まとめ
わたしたちは巨大な社会に対して非力で、ちっぽけな存在です。
役割を丸投げされて、黙って受け取るしかない存在です。
社会はいずれ、こどもにピッタリと合った場所を用意して、そこにどうでも嵌め込んでこようとしますので、安心してください。
社会から逃げられるうちは逃げておくのもいいです。
不登校になれるこどもは、そういう意味で、ある種の「幸運なこどもたち」だと言えます。
皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。
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