不登校の原因になる「生きづらさ」とは何かを知りたいとき読む記事

7月 22, 2019

こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校についての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を(ほぼ)毎日お送りしています。

今回は不登校の原因になる「生きづらさ」について知る記事です。

不登校、行き渋りの最初のころ、起きられない、おなかが痛い、頭が痛い、という風に、どこかしら体の不調を訴えることが多かったです。でも昼過ぎには元気になって遊んでいたりしました。

例えばその子たちが感じている「生きづらさ」に関しては、かなりの部分まで明らかにすることができます。
今回は「生きづらさ」の正体を明らかにして、こどもの心に寄り添ってみましょう。

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「生きづらさ」=「自分は無価値なんではないか」という恐れ

いきなり結論です。

生きづらい、ということは、そのまま「自分には価値が無い」と思っていることの表れです。

ものすごく端的に言ってしまうと、

「価値のありそうな人ばかり見せられている現状」に、こどもが押しつぶされているからです。

現代は、普通の人を置き去りにして相対的価値観を強調する社会になっているので、普通に大人が生きていても「生きづらさ」を感じてしまいます。

こどもなら猶更です。とくに、中学生以降は。

 

少子化が進んでこどもの総数がずっと減り続けているのに関わらず、不登校が増えているという現象から見てもちょっと想像がつきませんか?
人数が減って、本来なら、大人の目が行き届きやすくなり、こどもはもっと居心地が良くなって、学校が楽しくなるはずなのに・・・

こどもは何が不満なんでしょうか?わたしたちのこどものころはベビーブームで、兄弟姉妹も多くて、親は忙しくて構ってもらう時間も少なくて、その分たくましかったような気がします・・・

▼本心とは違う言葉をかけられ続けるこどもは身動きが取れなくなります。「ダブルバインド」とは?

「自分は無価値である」という評価の根源

結論から言うと、「無価値」である、と思う反対に「価値がある」人がこの世に存在する、とこどもが気付いている、いうことです。

こどもがそう思い込んでいる、ということは、そのまま「親がそう思っている可能性が高い」ということでもあります。

なぜなら、高校生ぐらいまでのこどもは、親の考えをそのまま受け入れるのが常だからです。

ここで、親は、「生きてる価値があるとはどういうこと?」と自分に問いかけてみてください。

どういう価値基準でいけば、自分には価値が無くて○○さんには価値がある、と思えるようになるのか、その価値観を無意識のうちにこどもに伝達していないかを振り返ってみましょう。

気休めでもなんでもなく、親が考え方を変えることでこどもが劇的に変わるんですよホントに。

親のわたしが、いつも無意識のうちに「価値基準」を持って人を評価している、ていうことですか?それがこどもに伝染している、と?

人は誰でも、たとえ初対面でも相手を何かしら評価判断し、比較しています。それはもう人間としての本能のようなもので、生存競争の一環ですからしかたありません。
問題なのは、それを奥深く抑圧してしまっていることです。

キレイゴト抜きで、「価値がある」って何?

こちらは少し違う角度から述べます。

なぜわたしたちは、テレビで自分の人生とはまったく関係のない美男美女を見てうっとりしたり褒めたり、素晴らしいと称賛するのでしょう?

なぜ野球放送を見て、素晴らしいプレーに拍手を送ったり、オリンピックを見て感動するのでしょう?

わたしたちはまったく無意識のうちに、自分より素晴らしいもの、きれいなもの、美しいものを称賛する気持ちを持っています。

だからこそ美術品を見て感動したり、映画を見て涙を流したりできます。

そういうものを見て、「自分の人生をより良くしよう」と思う原動力にしたりすることは全然悪くありません。

優れたもの、素晴らしいものに触れて感動したり、つい比較し、価値を認めるのは、本当に当たり前のことです。

そういう価値観があるからこそ人は努力する気にもなるし、努力して素晴らしい成果を残した人を見て素直に称賛することができます。

本当に価値があるものを、人は無意識のうちに見抜いています。例えば、初対面の人に対してでも、本能的に価値を感じ取り、接し方を変えるのが当たり前です。
こども同士は猶更、もっと素直に「あいつは凄い」と言ったことを本音で感じ取ったりもします。

そうですよね。本来「価値がある」ことはそれ自体素晴らしいことですよね。
逆に、「無価値である」ことを悩んで落ち込んでしまうのは防ぎようがないかも・・・

りゅうかさん、そこがおかしいんですよ!
価値があるものは「多くの無価値のもの」の中で希少だからこそ価値があるのですよ。そこを、現代の親は勘違いしている気がします。

▼母親は実は、不登校のこどもに対してこれだけやっておけばいいのです。希少で貴重な意見!

「みんなが一等」「みんなが主役」の教育の弊害

これは、現代のこどもの「無価値観」を植え付けている最も悪しき教育だと思われます。

今のこどもは、管理人世代がこどもだったころと比べて一つだけ大きく違った教育を受けています。

それが表題の「みんなが一等」「みんなが主役」の劇だったり、運動会だったりするものに代表される「平等こそ正義」の教育です。

〇運動会で、一等もビリもみんな一緒にして行進する。

〇学習発表会で、みんなが順番に主役のセリフを言って、何が何やらわからなくさせる

これを見るたびに、「ああ、現在不登校が増えたのはこのせいだ」と暗澹たる気持ちになってしまいます。

つまり、「価値のあるもの、ないものも全部一緒くたにして、評価することそのものを罪悪視する」教育のこの傾向が諸悪の根源です。

なぜかけっこ一等賞を称賛しないのですか?素直に凄い、と言ってあげられないのですか?

なぜ、クラス一かわいい子や、劇の主役をするのにふさわしいこどものことを素直に称賛してあげられないのですか?

おそらく、「なぜうちの子が脇役なんですか!?」「かけっこ遅いのを晒しものにして…差別です!!」とねじ込む父兄に気を使って、「みんなが一等、みんなが主役」と植え付けているのでしょう。

でも、世の中には、必ず価値判断が付いて回ります。

自分より優れた人間はゴロゴロいて、自分が普通であることは、別になーんにも恥ずかしいことでも悪いことでもありません。

それを、幼稚園のころから「人より優れてはいけない」「人より劣ってはいけない」という罪悪感を植え付け、その上に、「みんな凄いのよー」と偽りの価値観を植え付けられるこどもの身にもなってあげてください。

そんな教育を受けたこどもが、中学生になって本格的に人の評価に晒されまくる環境に置かれると、自分には価値がないとパニックに陥るのは当然です。

まとめ

〇生きづらさ=「自分は無価値である」という自己評価

〇生きづらさは親の価値観を受け継いでいる可能性がある

〇より優れたもの、よりきれいなものを称賛するのは素直な感情

〇それなのに「みんな一等、みんな主役」の教育を受けたこどもが中学に入って本格的な競争に放り込まれるとパニックになるのは当たり前です

不登校のこどもが生きづらさを感じているとすれば、そのような「人を評価したり、自分が評価されることに対しての罪悪感」を植え付ける教育にあります。

そしてそのような教育を脅迫するなんでもかんでも「うちの子が脇役なんは差別だ!」「足が遅いのを晒しものにする!」と騒ぎ立てる一部の親のコラボで、現代の不登校児が大量生産されているという、情けなくも悲しい結末になってしまっています。

普通であることは恥じることでもなんでもなく、人より優れたものを持っているならそれを素直に称賛する気持ちを親が取り戻していきましょう。

皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。

ここに書いている記事は、すべて管理人が確信を持っていることです。もしよかったらご意見ご感想をお寄せください。

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Posted by admin