不登校と「引きこもり」の関連が知りたいと思ったとき読む記事
こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校についての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を(ほぼ)毎日お送りしています。
今回は、不登校から引きこもりの関連を知りたいと思ったときに読む記事です。
実は、いまわたしが一番恐れているのがそれなんです。このまんまずっと外に出られなくて、引きこもりになったらどうしよう、と夜も眠れないほどなんです。
我が子が引きこもりになるかも知れないと言う恐怖は、端的にかなり心配で不安ですよね。
では、実際にそうなった場合と、親の覚悟と対処法について考えてみましょう。
▼予備知識としてこちらの記事をどうぞ!
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「引きこもり」はありのままにこう見る
いきなり結論です。
引きこもりが全国で100万人(概数)で、40代以上の引きこもりが全体の半数だそうですが、これは実は、ものすごく社会が進歩したということです。
引きこもっていても生きていかれる豊かな社会になったので、一定数がその恩恵を受けている、という、近代以前からしたら夢のような社会です。
近代以前は、人は働いても働いても貧しくて、食べ物にも困って、働けない人は自然に社会から淘汰されていました。
病気になるともう生きていかれない、という厳しい現実が「働かざる者食うべからず」という諺になっています。
現代は、本当に素晴らしい社会です。
働かなくても生きていかれる人が一定数いる、しかもそれは昔の「貴族階級」のような身分制度によるものではなく、ほぼ本人の自由意思で「引きこもる」ことを選べるのです。
善悪の問題ではありません。
単純に、「引きこもっても余剰生産力で生きていかれる豊かさを手に入れた」というです。
人は環境にものすごい影響を受けます。
人間をつくるのは環境です。
「働かない人を養うだけの豊かさがある」場合、一定数の人が働かなくなり、家で自由に過ごすようになるのは自然なことです。
ものすごく単純に言うと、引きこもりを無くすには社会を貧しくして、働かないと生きていかれないようにすればよい、ということですね・・・
まず引きこもりを「悪」として見るのはちょっと違うということです。彼らはただ、「社会が豊かになったので一定数の人が働かなくてすむようになった」ので、たまたまその現象を表現するのに選ばれただけ、ということが多いです。
▼価値観が多様化する中、「学校とは何?」を改めて考えましょう。
自分はこんなにしんどくても働いているのに
社会が、「働かなくても生きていかれる」という豊かさを手に入れたから、引きこもりが自然発生してきたのですが、社会はなぜか「引きこもりは悪」としています。
これはある意味、「働かなくても生きていけるなんてケシカラン!」「働かなくては生きていけない社会のほうがいい」という、少し以前の価値観に人間が縛られている、ということです。
不登校も同じで、「学校に行かないと生きていけない」という以前の価値観に縛られているだけで、実際には、学校に行かなくても生きていける豊かな世の中を日本は手に入れたので、不登校が自然発生しているだけ、とも言えます。
貧しければ豊かさを求め、豊かになってのんびりすれば「怠けている」と言われ、人間はいつも勝手です。
結局社会は、「俺は頑張って働いているのに、怠けている奴はケシカラン」という価値観にいまだ縛られている、ということになります。
豊かになった結果としてのんびりすると、「俺は頑張っているのに」と周囲から非難されるという構図です。
こどもの不登校も、「学校に行かなくてもある程度大丈夫な豊かな社会を手に入れたのに、以前の価値観に縛られている」ということですね・・・
「引きこもり」が社会貢献するには
「不登校→引きこもり」のルートが確立されたのは、ある意味、「社会が豊かになった証拠」なのですが、社会はまだその豊かさに慣れていないので「怠けている」と非難します。
日本国は急激に豊かになったので、「豊かさを享受する」ことに対して罪悪感を持っているのかも知れません。
でもその罪悪感を、実際に豊かさを享受して引きこもりになっている人になすりつけてみても、あまりうまくいきません。
では、前時代の価値観をそのまま生かしながら、堂々と引きこもれる環境を与えてあげればよいのです。
前時代だろうが今だろうが未来だろうが、「人の役に立った対価をもらう」、つまり、「誰かの役に立つことが喜び」という価値観はずっと変わらないので、家の中にいても誰かの役に立ってもらえばいいのではないでしょうか?
引きこもって家にいるのなら、
お洗濯、お買い物、掃除、食事作り、女性が無償でしていたことをどんどん引きこもり主にやってもらいましょう。そうして対価をあげれば、引きこもりのこどもにも人に貢献してもらえます。
そもそも、日本の女性は無償でいろいろやりすぎです。少し手を休めて、家の余剰人員を雇って社会に参加させてあげましょう。
そこで、「人の役に立って対価をもらう喜び」を教えてあげましょう。
もしかしたら、引きこもりになってしまったこどもは「人の役に立つ喜び」を知らないだけかも知れません。
就職活動期に氷河期だった、とかいう話もありますが、失業率を見ても、仕事が無かったわけではありません。
人の役に立つ機会はいくらでもあったのに、「つまらない仕事」「給料が安い仕事」と偏見を持って仕事をえり好みした結果です。
家事労働だろうが、エリート商社マンだろうが、「人の役に立つ」という点において平等です。
傾向として、引きこもりのいる家庭は、家庭内で無償労働していて平気なしっかりしたお母さんがいる家庭に限られる気がします。
要するに、女性が無償で働いてよいところを全部持っていくのはやめて他人を活躍させればいい、ということです。
こういうことを言うと反発を受けるのですが、女性が家庭内で存在感を持ちすぎ、貢献しすぎると、他の人の活躍場が無くなってしまいますので、手を緩めてください。
▼不登校児がいる兄弟姉妹の接し方~当サイトの不動の人気記事です。
まとめ
〇「不登校」「引きこもり」は社会が豊かになった証拠と結果であり、本人が悪いわけではない
〇引きこもりを罪悪視するのは、現代以前の「働かないと食っていけない」価値観が残っているだけ。
〇家の中に余剰人員がいるなら、その人員に「家事労働」を任せて賃金を支払い、「人の役に立つこと」を教えてあげてください。
そして、その前提として、
家庭内で無償でガンガン労働をする女性は、活躍の場を余剰人員に譲ってあげてください。引きこもりの家庭には必ず、無償労働して良いところを全部持って行ってしまう女性が存在します。
家事労働も、エリート銀行員も、「人の役に立っている」という面では平等です。どうか、引きこもりの人にも「人の役に立つ立場」に立たせてあげてください。
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