子育てで「相性が悪い」と感じるこどもがいるときの対処法
こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校や子育てについての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を(ほぼ)毎日お送りしています。
今回は、子育てをしていて、兄弟姉妹の中で「この子は何となく好きになれない」と思ってしまうこどもがいることについてです。
「育てにくい子」は確かにいるかもしれませんが、なんとなく好きになれない、と思うって・・・悩みも深いかも知れませんね
ここで、「親なんだから大人が合わせていくべき」というアドバイズでは、ありふれた情報になってしまいます。
ここではなぜ合わないのか、どうやって合わせていくのか、という具体的なところまで踏み込んでいこうと思います!
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好き嫌いや「相性」は味わうために存在する
人間は、10人いればで必ず「気の合わない人」というのが存在します。
家族にだって、合わない兄弟がいてもおかしくありません。
ここをまず「合わせていかないといけない」と理想論を説いて、合わせられない自分はひどい母親だ自分を責めて見ても、何の進展もありません。
これは自分の感情を処理するにおいての大原則なんですが、
ある感情を無いものとして扱うのは、腐ったサンドイッチがカバンに入っていてそれを「そんなものは入っていない」と思い込むのと同じ、ということです。
そのまま「無いもの」にしてしまうと、腐ったサンドイッチはどんどん腐敗していきますます汚くなって、カバンの中を汚してしまいます。
とりあえず、「あー合わないな、相性が悪いんだな」としみじみ感じてみましょう。
感情は、自分で味わうために存在するもので、それそのものに人生を支配する力はありません。
可愛げのある子と可愛げのない子というのは実際に存在しますし、好き嫌いだけは人間は自分の意志ではどうしようもないのです。
もし、人間の心が自分の意志で誰かを「好きになること」が可能だと思うのなら、それは人間の心をかなり甘く見ています。
感情は自分の意志とは全く関係のないところで生まれていて、わたしたちの人生を彩ってくれます。
「好き」と思う感情と同じ量だけ「嫌い」と思う感情も自分の中に存在していますし、その両方を感じられるのが人生の醍醐味です。
好き嫌いの感情は自分の意志とは関係ないところで起きていますので、それを自分でしっかり感じてあげることで人生が豊かになります。
でも、自分のこどもを嫌いたくないですね・・・
理想論を言って「人類をみな平等に好きになる」みたいなことは、宗教上の偉人や宗教の人に任せてみましょう。私たちは日々あちらからやってくる感情を受け止め、感情を味わうことで自分の人生を充実させることだけを主眼にすればいいです。
▼深刻な「不登校のこどもを愛せない」現象について
「愛すること」と「好き嫌いという感情」は別物
兄弟の中で一人だけ「愛しいと思えない」こどもがいるのと同時に、「この子は兄弟の中でも可愛いな」と思うこどもがいるのは、ごく自然のことです。
べたっと平坦に好きになろうとする努力は、やればやるほど自分の本心に背く「ダブルバインド」を生み出してしまいます。
そもそも「愛すること」とは、「好き嫌い」のような「感情」ではなく、自分がその人に与える労力や態度のことです。
平たく言うと、「こどもを大切にすること」が「愛する」ことです。
そこに「好き嫌い」とか「相性」を絡める必要はまったくありません。好きでなくても「大切にする」ことは可能です。
好きでなくても大切にすることは可能、確かにそうですね。
たとえは極端ですが、昔から伝わっている古いものは、その当時には価値が無かったかも知れません。でも人々が長い間「大切にしてきた」ことによって、骨董品として価値が生まれるのです。
人間も同じで、「大切にしてあげること」に価値があり、好き嫌いとは離れて存在するのです。
▼悩みを誰かに相談するのは逆効果!?
どれだけ好きになれたか、よりも「どれだけ大切にできたか」が大切
特定のこどもをどうしても好きになれない、相性が悪い、と感じることについて。
それはごく自然な感情であり、この「好き嫌い」という神秘的な感情は恋愛を生み、友情を育み、争いごとを巻き起こす張本人です。
一方で、何かを「大切にする」ということができる人は、それが好き嫌いや相性とはまったく離れたところから発生する人間の神秘的な作用であることを知っています。
どれだけ好きか、よりも、それをどれだけ大切にできるか、に注目してみましょう。
こどもを等しく好きになるのではなく、こどもを等しく大切にしてあげること、それなら親は可能なはずです。
なんとなく相性が合わないなあ、と思っていたとしても、大切にしているうちに自分と似たところや面白い部分を発見したりしてこれまた人生を多彩に彩ってくれます。
人や物の価値というのは、その人をどれだけ大切にできるかで決まってきますね、確かに。
こどもはまだ生まれて間がありません。成長するにつれて性格も変化してくるでしょうし、ちょっとチガウという違和感を感じることがあったり、「意外にカワ(・∀・)イイ!!」と思うことがあったりするのが面白いのです。そういうのは味わって楽しみ、「大切にする」という接し方のみ心がけていけば、こどもは立派に成長していきます。
まとめ
〇好き嫌いや相性は意志の力とは別のところで味わうために存在する
〇愛することは「大切にする」ことで、それは好き嫌いとは別の領域にある
〇どれだけ「好きか」よりも、どれだけ「大切にできたか」に注目すればよい
大切なものがたくさんある人生は、豊かになります。
一方で、好き嫌いがたくさんある人生は豊かになる、というものでもありません。好き嫌いはただ人生の彩りであり、無視したら感情が殺されて面白みが無くなるので、味わって噛みしめていく、そういうスタンスがベストです。
皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。
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