子育てで「相性が悪い」と感じるこどもがいるときの対処法

※このサイトではグーグル広告のポリシーにあるように、自閉症スペクトラムや発達障害などのメンタルヘルス的なことは扱いません。すべて一般論として記事を作成しています。 ※反発を感じられたり、怒りを感じられる人もいると思います。そんな場合は、「そんな話もあるんだろうか」ぐらいに受け止めてください。 ブログ村から来られた方々へ。下書き段階の未完成記事がPIN送信されている場合がありますのでお気を付けくださいませ。 Contents1 好き嫌いや「相性」は味わうために存在する2 「愛すること」と「好き嫌いという感情」は別物3 どれだけ好きになれたか、よりも「どれだけ大切にできたか」が大切4 まとめ 好き嫌いや「相性」は味わうために存在する 人間は、10人いればで必ず「気の合わない人」というのが存在します。 家族にだって、合わない兄弟がいてもおかしくありません。 ここをまず「合わせていかないといけない」と理想論を説いて、合わせられない自分はひどい母親だ自分を責めて見ても、何の進展もありません。 これは自分の感情を処理するにおいての大原則なんですが、 ある感情を無いものとして扱うのは、腐ったサンドイッチがカバンに入っていてそれを「そんなものは入っていない」と思い込むのと同じ、ということです。 そのまま「無いもの」にしてしまうと、腐ったサンドイッチはどんどん腐敗していきますます汚くなって、カバンの中を汚してしまいます。 とりあえず、「あー合わないな、相性が悪いんだな」としみじみ感じてみましょう。 感情は、自分で味わうために存在するもので、それそのものに人生を支配する力はありません。 可愛げのある子と可愛げのない子というのは実際に存在しますし、好き嫌いだけは人間は自分の意志ではどうしようもないのです。 もし、人間の心が自分の意志で誰かを「好きになること」が可能だと思うのなら、それは人間の心をかなり甘く見ています。 感情は自分の意志とは全く関係のないところで生まれていて、わたしたちの人生を彩ってくれます。 「好き」と思う感情と同じ量だけ「嫌い」と思う感情も自分の中に存在していますし、その両方を感じられるのが人生の醍醐味です。 ▼深刻な「不登校のこどもを愛せない」現象について 「愛すること」と「好き嫌いという感情」は別物 兄弟の中で一人だけ「愛しいと思えない」こどもがいるのと同時に、「この子は兄弟の中でも可愛いな」と思うこどもがいるのは、ごく自然のことです。 べたっと平坦に好きになろうとする努力は、やればやるほど自分の本心に背く「ダブルバインド」を生み出してしまいます。 そもそも「愛すること」とは、「好き嫌い」のような「感情」ではなく、自分がその人に与える労力や態度のことです。 平たく言うと、「こどもを大切にすること」が「愛する」ことです。 そこに「好き嫌い」とか「相性」を絡める必要はまったくありません。好きでなくても「大切にする」ことは可能です。 ▼悩みを誰かに相談するのは逆効果!? どれだけ好きになれたか、よりも「どれだけ大切にできたか」が大切 特定のこどもをどうしても好きになれない、相性が悪い、と感じることについて。 それはごく自然な感情であり、この「好き嫌い」という神秘的な感情は恋愛を生み、友情を育み、争いごとを巻き起こす張本人です。 一方で、何かを「大切にする」ということができる人は、それが好き嫌いや相性とはまったく離れたところから発生する人間の神秘的な作用であることを知っています。 どれだけ好きか、よりも、それをどれだけ大切にできるか、に注目してみましょう。 こどもを等しく好きになるのではなく、こどもを等しく大切にしてあげること、それなら親は可能なはずです。 なんとなく相性が合わないなあ、と思っていたとしても、大切にしているうちに自分と似たところや面白い部分を発見したりしてこれまた人生を多彩に彩ってくれます。 まとめ 〇好き嫌いや相性は意志の力とは別のところで味わうために存在する 〇愛することは「大切にする」ことで、それは好き嫌いとは別の領域にある 〇どれだけ「好きか」よりも、どれだけ「大切にできたか」に注目すればよい 大切なものがたくさんある人生は、豊かになります。 一方で、好き嫌いがたくさんある人生は豊かになる、というものでもありません。好き嫌いはただ人生の彩りであり、無視したら感情が殺されて面白みが無くなるので、味わって噛みしめていく、そういうスタンスがベストです。 にほんブログ村