子育てが辛くて涙が出るママたちへ~一人じゃないよ

こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校や子育てについての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を定期的にお送りしています。

今回は、純粋に「子育てが辛い」涙が出る、死にたい、逃げ出したいと思っているかたに向けた記事です。

一番つらかったのは、こどもが幼稚園に上がる前ですかね・・・あの時は本当に辛くて、いつも肩に100キロの荷物背負っている感覚でした・・・

こればかりは、母親をしたことがある人にしかわかりませんよね。特に家でこどもと向き合っている時間が長い人によくある辛さではないでしょうか。
それでも、母親は基本的に、同じような辛さを味わっています。なぜこんなに子育てが辛いのでしょうか?
理由がわかっても辛さが和らぐわけではありませんが、辛いのは一人だけではないと思えるかも知れません。

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子育ては「自分がバラバラになる」残酷な作業

いきなり結論です。

子育ての何が辛いかというのは、自分という、今まで生きてきて積み上げた存在がバラバラに刻まれて、自分とは違うものに混ぜ合わされる

からです。

もちろん、24時間をこどもに捧げるという時間的拘束や体力的きつさなどがベースになっていますが、

いずれも、

自分が粉々になって自分以外のものに溶けて消えて無くなっていく

という衝撃が、死んでしまいたいぐらい辛いのです。

今までの人生で何十年もかけて築いてきた「自分」という存在をいったん全部砕いて粉々にして、少しずつこどもの体と心に混ぜ合わせていき、もう一人の人間を作り上げる作業がどれほど苦しく辛い作業か、母親はみんな知っています。

こどもは夜眠りません。

排泄をトイレでしません。

ごみを拾って口に入れます。

人ごみの中、急に走り出します。

電車の中で大声を出します。

所かまわず泣き出します。

花瓶をわざと落として水がこぼれているのを触って遊びます。

大事にしているものをビリビリに破き割って壊します。

掃除機を外に持ち出し砂利を吸い込んで掃除機を壊します。

ティッシュを無意味に全部引き出して部屋中に散らばします。

トイレットペーパーを全部引き出してトイレの中を紙の海にします。

母親が具合が悪くて横になっていたら、ドーンとおなかの上に飛び降りてきて自分に注意を向けようとします。

人前で大声で泣いて自分の要求を通そうとします。

こんな感じで、母親が、今まで生きてきた中で培った人としてのふるまい、人への思いやりや節度ある行動は、一心同体になっている幼い子供にズタズタに引き裂かれます。

バラバラにされて引き裂かれた自分自身を、母親は子供と一緒に、毎日、孤独に拾い集めて積み上げる作業が何年も何年も続けます。たいていは、誰も手伝わないし、積み上げたところで、「一人の人間ができた」というごく平凡で、変わり映えしない結果が待っているだけです。

その作業は、

大人になった自分が一度死んでゼロに戻ってまたやり直す

ということに等しい、だから苦しく辛い。

この辛さは、ちょっと言葉には変えにくいほど、魂に堪える辛さです。

こどもに人間としての振る舞いが身についたころには、また次のこどもが生まれてまた最初からやり直す感じの場合もあります。

この苦しさが報われないものとして余計辛くなるのは、お金を派手に稼いだり、人から注目を浴びて大変なことと比べて、一般的な評価として「母親なら当たり前」と見られて放置されることです。

子育ての期間中、「心が砕け散った」と思える瞬間が何度もありました。
温泉に入ろうとしていきなりこどものオシッコが出てしまい、周囲が一斉に白い目で見てきた時のこと。

新婚旅行で海外で買ってきたオブジェをこどもがつま先立ちして触り、落として粉々にされたとき。

体の具合が悪い時のに無理して買い物に行き、おもちゃをねだられてずっと床に座って泣き続けられた時。

迷子になったと探し回りどうしても見つからず、警察に届けようとしたとき、かくれんぼのつもりかニヤニヤしながら物陰から出てきたとき。

思い出すと、あの衝撃やバラバラになった感は、以後の人生で一度もありません。

母親が自分とは違う人間で、こんなことをされたら悲しいんだ、ということが理解できるようになるまでは、母親は常に「人格崩壊」に耐える時間が続くわけです。
しんどいですよね・・・。大人が何かをやり遂げる、というような達成感もありませんし。

▼もう頑張れない、て思うときありますよね、いっぱいいっぱいになる。

子育ては「達成感」を感じることができない作業

人格をバラバラにされることと同時に、子育ては、「達成感」を感じることができません。

こどもが転んで泣いたり、大きな音を立てたら、どんな作業をしていようがそれを放り出して駆けつけねばなりません。

たとえトイレの中で、大小の最中でも、ゆっくりとできることはなく、母親の姿を求めてドアの前で大泣きされたり、どんどんドアを叩かれたりします。(しまいにはトイレするさいドアを開けたままするようになってしまったりする)

洗い物、料理、洗濯物、掃除、すべてのことを「完結させる」ことはほぼなく、常に中途半端なまま放り出してこどもの大小の世話をしたり着替えをさせたり、泣いているこどものそばに駆け付けないとなりません。

食事の間でさえ、こぼしまくって大騒ぎするこどもを食べさせているうちに、自分はその隙間を縫うように機械的に動物のように食べ物を口の中に掻きこむのがせいぜいです。動物でもそんな食べ方はしないでしょう。

すべて完結できないで中途半端にしておく

という状態が続くと、常に物事に追われ、しかも物事が終わらない永遠の空回りループに嵌っている感覚がしてきます。

その上、さらなる苦しみが母親を襲います。

通常は、休憩する際にはちょっと黙って座ったり、ぼおっとテレビの画面を眺めて、潜在意識とアクセスし、回復させるのですが、幼いこどもと一緒に居ると、潜在意識とアクセスするためのぼおっとする時間さえも与えてもらえません。

これは、たとえて言うと、「睡眠と夢を見ることを取り上げられた状態」と似ています。

気持ちを切り替えて次の出来事に備えるために、人間は不必要な物事を忘れ、記憶をリセットするために眠ります。

日常生活でも、何も考えなくて一人でぼおっとする時間があれば、リセットが可能ですが、こどもはそれをも許してくれません。

大人は、「一人の時間」をわずかでも持たないと、常にエネルギー回路がどこかに繋がっていてエネルギーが漏れている状態になったり、自分の意志でない行動に支配されてしまう状態になります。

幼いこどもといると、ただの五分でも、リセット時間をあたえてくれず、ずっと動いたり話したり、小さなトラブルを起こしたり、物を壊し続けます。

こどもが一人ならお昼寝の時間もありますが、二人以上だとお昼寝もずれて眠ってくれないし、もしお昼寝してくれようものなら、母親は疲れ切って自分も寝てしまうことがほとんどです。

達成感を取り上げられ、記憶や心のリセットする機会も奪われたら、母親の心はどんどん感情が枯渇、摩滅していきます。

人間に対して最も効果的な拷問は、「眠らせない」ことです。

幼い子供は、眠りに準ずる同じ作用を持つ、「ぼおっとする時間」を母親から容赦なく取り上げます。

この辛さは、されたことが無い人にはなかなか理解してもらえません。

物を考えることを禁じられ、常に人が要求することを満たし続けながら、エンドレスの空回り作業を何年も続けるのが、子育てです。

母親から達成感を取り上げ、回復感をを取り上げ、幼い子供は母親の心を粉々にしてそれを自分の養分にしながら成長していきます。

列挙してみると、凄まじいですね・・・毎日が戦争のような感じですね。

この作業を続けつつ、夕飯を作り洗濯をし掃除をし続けるんです。掃除しないと部屋の中はあっという間にものすごいことになり、部屋の中は人が住む空間では無くなってしまいますし洗濯も待ってくれません。

これをこなしている母親は、ほんとに偉大ですよ。
本当に、頭が下がります。

▼子育てしていて一人になりたいときってありますよね。

自分の心を粉々にしてこどもに与え、もう一度人間に復元したとき

母親は、自分の心を粉々にして(こどもに粉々にされて)子供と一緒にもう一度人間らしいものに復元していきます。。

そこには、こどもの心のかけらと母親の心のかけらが混ぜ合わされ、より良い形に整えられて、小学校に上がるころにはほぼ完成されていきます。

母親は、こどものことを「分身」と感じるのは実感がこもっています。

自分という人間をバラバラにして、こどもと練り合わせて人間にしたのが、自分のこどもだからです。

しかも、こどもがある程度成長すると、実質的に死ぬような目に遭いながら子育てをしたこと、苦しかったことはきれいに忘れ、楽しかったこと、愛しい思い、惜別の思いや懐かしくて涙が出そうな思い出しか残っていません。

ときに、こどもの幼いころのことは、あの頃に戻りたい、と泣きたくなるぐらい切なくなるほど大切な思い出になっています。

こどもを生んだ後しばらくしてあの出産の凄まじい痛みを忘れるのと同じで、子育ての苦しみを忘れて、「こどもが愛しい」という思いだけが積み重なっていく、そんな

種の存続にとって都合の良いようにできているのが、母親です。

そして、たぶんですが、こどもは、母親がこどもを愛している以上に、母親のことを深く深く、魂のレベルで愛してくれています。

子育てのレベル以上に、人の心をガタガタにさせたり、また愛情を感じさせたり、充実感を与えてくれるものは、どんな仕事でもありません。

自分の心と体をバラバラにしてこどもに与える、という行為を介して、わたしたちはより高い次元に成長していくことができます。

 

人間的成長の面で言うと、土台と形を変えないままだと人間は大きく成長することはできませんが、一度バラバラに解体して、より良い形になるように練ることで初めて、前とまったく別次元の成長した自分に練り直すことができます。
子育てはこれに当たります。

たしかに、自分のことだけ考えて生きていた若い時の自分と比べたら、変わったな、と思います。
こどもに変えてもらったのですね。

▼こどもに幸せになって欲しい場合は、この能力さえ身に着けておけばうまくいきます。

まとめ

・子育ては、自分という存在を粉々にしてこどもに与える「なんども壊されバラバラにされながら一からまた復元する作業」です。

・子育ては達成感が無く、永遠に終わらない作業を孤独に繰り返すもので、誰からも「できて当たり前」と思われる作業です。さらに、トイレで用を足すときでさえ人の要求を最優先させつつ、自分が回復する時間も与えられない苦しい作業でもあります。

・そんな大変なことも、こどもが大きくなれば都合よく忘れてしまい、楽しかった思い出や愛しいこどもの笑顔しか思い出せないというのが母親という存在です。

 

母親は、一日に何度も人格崩壊するような出来事を受け入れながらその都度復元を繰り返し、作っては壊され、作っては壊されても文字通り自分の命を削って与えながらこどもを人間にしていきます。

だからこそ、戦争で出兵した時、兵隊さんが最後に叫ぶのは「お母さん」という言葉だったのです。

母親は、ほんとに偉大で素晴らしい存在です。

辛い時期には何を言っても慰めにはならないかも知れませんが、母親が愛する以上に、こどもは母親を深く深く愛してくれています。

子育てに費やす時間は人生のうちごくわずかですので、楽しかった、と振り返ることができるその日まで、こどもさんと向き合ってあげてください。

皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。

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Posted by admin