不登校に理由は無い~「どう変わっていくか」のほうが大切です
こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校や子育てについての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を定期的にお送りしています。
今回は、こどもが不登校になってしまって「どうしてこうなったんだろう」「何が原因だろう」と迷路にはまってしまったかたがた向けの記事です。
こどもが不登校になって、「どうすれば学校に行ってもらえるのか」「どうしてこうなったのか」ということを考えて、正直かなり参っています・・・
実は、「どうして不登校になってしまったのか」という理由を考えたり追求することにあまり意味はありません。社会の中で偶然「不登校になる役割」を当てはめられただけの可能性が大いにあるからです。それは病気になったり事故に遭ったりするのと同じですから。
理由を追求するよりも、「不登校になってこどもがどう変化するか」のほうがずっと大事です。
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「不登校」は病気にかかるのと似ている
まずは結論です。
昨今増加している「不登校」という現象は、社会がランダムにこどもたちに当て嵌めている役割のようなものです。
〇母親の過干渉のせい
〇夫婦仲が悪いせい
〇こどもの性格が引っ込み思案だから
〇家庭に問題がある
などなど、いろいろな原因があるにはありますが、それがすべてではありません。
言い切ってしまえば、
たまたま、その役割がその家庭とこどもに回ってきた
というのが最も正解に近いものです。
これは、病気にかかるのと同じ感じです。
血液の病気にかかってしまった。
食生活が乱れていたから、ストレスが溜まっていたから、睡眠不足だったから、運動不足だったから、といろんな理由が挙げられますが、それぞれの理由はそれなりに正しくはあるものの、決定的な原因は特定できません。
たまたま病気にかかってしまった!
というのが最も正しいです。
なぜなら、同じように食生活が乱れて運動不足でも、ストレスが溜まっていても、病気にならない人も世の中にゴマンといるからです。
「不登校」もそれに似ています。
そのこどもの性質、家庭環境、学校の環境やきっかけがどうあれ、こどもはたまたま「不登校になる」役割を背負わされた、というのが最も近い答えだと思います。
そこで、原因を深く追求してもあまり意味はありません。
いろんな要因や環境や人間関係がそこに絡んでいるので、「これ」と特定できないでしょうし、特定できたところで過去に戻って理由を解消するわけにもいきません。
わたしたちができることは、
まずは現状を受け入れて理解しようとすること
だけです。
病気にしても、不登校にしても、非常に受け入れがたいことです。
そこは、我が子のために踏ん張って、そのまま受け入れようとすることで事態が動き出します。
例えば、「不登校には理由があるはずだ」と思って原因探しをするのは、母親自身のためです。自分が納得したいから原因探しをしているのです。
一方で、「不登校という現実を見つめる」ことは、自分のためではありません。こどもの気持ちに寄り添うためです。
なぜ?と原因を探し求めるよりも、今ある現実を見つめてみましょう。そうすることでいろいろな変化が見えてきます。
▼不登校は、実は社会全体が欲している現象ですので、個々の意志で排除することは難しいです・・・
今起きていることのほうが、「過去」よりも大切です
ここからは、少し目線を変えてみます。
なぜそうなったのか、という視点は、「過去」にフォーカスしている姿勢です。
今こうなっているのは過去に原因がある、というのは確かにそうなのですが、それを今深く追求しても、過去が変えられるわけでも今現在に劇的な変化が呼び込めるわけでもありません。
これはどんなことでもそうですが、
成績が下がったとします。
そこで、なぜ成績が下がったのか理由を追求することは、過去にフォーカスすることです。
数学が苦手になったから、異性に興味を持つようになったからと理由がわかったとしても、それだけでは現状を変えることはできません。
一方で、成績が下がったことを受け止め、どう変化していくかを考えることは、未来を変える力になります。
数学が苦手になったのなら、文系にシフトする、異性に興味を持ったのなら、彼女と一緒に勉強する場所を整えるなど、現状を変える方法はたくさん思いつくでしょう。
今の現実を受け止めて見つめることにフォーカスしたほうが、有益である、ということは不登校についても同じです。
まずは不登校であることを受け止め、そこからどんな変化が起きているか、どう変わっていくかを見つめることで、現在と未来にフォーカスすることができます。
家にこもってずっとゲームをしている
昼夜逆転生活をしている
まったく話をしてくれなくなった
部屋から出てこない
など、とても心配で不安な現象が続々起きてくるかも知れませんが、その理由にフォーカスするよりも、家族がどう変化していくか、父親は母親の気持ちや兄弟がどのような影響を受けていくのか、観察することに集中してください。
その変化は、遅かれ早かれ家族に起きたことですし、変化によって更なる変化が巻き起こって家族全体に影響があるかも知れないので、注意深く見守ってください。
変化の先が、あっと驚くような素晴らしいことである可能性もあるわけですから。

どんな組織も社会も、変化がつきものです。歴史を見ても、人間はいつも変化を求める生き物だ、ということがわかります。家族もいつまでも同じ場所に留まっていません。
わたしが何よりも注目しないといけないのは、こどもに対する気持ちの変化ですね・・・。不登校になったからこどものことが信じられなくなった、とか、イライラする、とか不安で仕方ない、というのは、こどもの本質とは関係なく、自分自身の気持ちの変化です。こどもはただ単に「不登校の役割を担わされた」だけですから。
病気になったこどもに、「なぜ病気になったの?」と追及しても、こどもは苦しいだけですし理由は言えません。それと同じです。ただ「不登校になった」という事実をまずは受け入れて、そこから起きてくる変化を受け止める覚悟をしておくこと、親にできることはこのぐらいです。
あとはこどもの変化、成長を見守るだけです。
▼不登校をちょっと違った角度から眺めてみると、違う光景が見えてきます。
実は、不登校について親ができることは無い
こどもにはこどもの人生があり、社会から背負わされた役割があります。
親には親の立場や役割があるのとおなじで、親がこどもの役割について口をはさむことは難しいです。
例えば、不登校やスクールカーストについて。
こどもが不登校になるのも親にはものすごいダメージですが、こどもが学校で、例えばカーストからはみ出してしまって孤立していることを知った親は、どれだけ悲しいでしょう。
それでも、こどもが自分でもがきながら、自分の居場所を見つけるまで親は待つしかありません。
親が代わりに学校にいって、こどもの居場所を作ってあげることはできないからです。
不登校にしても、親が代わりに学校に行くことができないので、こどもが自発的に行動を起こすのを待つしかありません。
その行動が、「学校へ行く」「フリースクールに通う」「不登校のまま卒業する」とどうなるかわかりませんが、その変化を受け止める覚悟をする、それだけでこどもの気持ちは落ち着いてきます。
こどもを変えようとするより、
こどもが変わることを受け入れる姿勢
たぶん、親は、生涯をかけて、この「こどもに起きるすべてを受け入れる」という試練を乗り越える役割を背負って生きているんだと思います。
自分を変えることができても、人を変えることは絶対にできない。大人はこれを良く分かっています。
でも、我が子に対してだけは、「自分が働きかければ変えていくことができるんではないか」と思ってしまうんですよね。
こどもが変化していくことを受け止め続けるしかないのが親・・・生涯そのことを心に留める覚悟が必要ですね!
▼学校に行き渋り始めたこどもへの声掛けはこれしかありません。
まとめ
・不登校は「病気にかかる」ことと似ています。たまたま社会からその役割を家庭やこどもに背負わされてしまいます。そこで原因を追及してもどれも当たっているけど原因は特定できないので、現実を受け止めることに注力しましょう。
・理由や原因を追及することは、「過去にフォーカスすること」です。一方で現実を受け止め、見つめることは「現在と未来にフォーカスすること」で、変化を受け止めることができます。
・こどものことで親ができることは、実はほとんどありません。親はこどもにどんなことが起きても受け止め続ける、そういう試練と喜びを帯びて生きていきます。
※ちょっとカテ違いですが、「理由を追及するよりもそれによって起きた変化を見つめたほうが有益」という件について。
例えば、歴史について。
第二次世界大戦が起きました。
日本は米国をはじめとする欧米諸国に敗れました。
これが事実です。
そして、なぜこの戦争が起き、日本は敗れたのか?を追及することは、過去にフォーカスした姿勢です。
・日本が軍国主義だったから
・資源を取り上げられたから
・国力が無かったから敗れた
など理由や原因はいくらでも、それこそ何千個でも見つかるでしょう。しかしその理由や原因の中に、立場を変えれば何万通りの正義と何万通りの悪逆が発見できます。
ここをほじくり返しても、不毛です。あったことはそのまま受け止めるしかありません。解釈は不要です。
一方で、先の大戦によって、何が変わって今に影響しているか、を見るのは、現在と未来にフォーカスした姿勢です。
最も大きなことは、
日本が戦争を起こしたことで、欧米の植民地が地球上からほとんど消滅し、何百年も続いた西欧諸国の地球規模の植民地化は歴史の彼方に沈んでいった
世界史上で、これほど大きな影響を世界史的に引き起こし、今でも継続せしめた戦争は、例がありません。
理由を追及するよりも、現在に至るまでの変化を見つめることで、今必要な情報を得ることができ、はるかに有意義です。
どんなことでも、原因や理由を求めるよりも今ある現実を勇気を持って見つめることで必ず道は開けてきます。
皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。
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