不登校解決のヒント②解決方法は最も近いところにある
こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校や子育てについての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を定期的にお送りしています。
今回は、不登校になったお子さん、あるいは不登校でなくとも、子育てをしていて悩むことが多い人にも読んで欲しい記事です。
少し遠回りのようですが、意外と気づかないことを提示したいと思います。
こどもが学校に行かなくなってから、親子共々長いトンネルに入った気持ちです。ここから抜け出るにはどうしたらいいものか、いろいろ相談に乗ってはもらっているのですが、まったく先が見えません。
こどもの不登校で陥りがちな親子の迷い道をできるだけ深堀して、親子共々楽になれる方法を考えていきたいと思います。。
▼このサイトの根本的な考え方はここに由来します!
※このサイトではグーグル広告のポリシーにあるように、自閉症スペクトラムや発達障害などのメンタルヘルス的なことは扱いません。すべて一般論として記事を作成しています。
※反発を感じられたり、怒りを感じられる人もいると思います。そんな場合は、「そんな話もあるんだろうか」ぐらいに受け止めてください。
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どんな解決方法も最も近くに存在する
いきなり結論から言います。
不登校やあらゆる問題は、解決方法は最も近くにあります。
学校のカウンセラーでもないし、全国の有名な不登校アドバイザーでもない、例えばこのサイトを含む「不登校専門サイト」でもありません。
もっと言えば、こどもが態度を変えてくれることでもありません。
最も確実で正確な解決方法は、今このサイトを見ているあなたの心の中にあります。
ここを説明するために、このサイトの存在意義がある、と管理人は考えています。
こどもと一緒に過ごしている時間が一番長いのは、このサイトを見ている人です。
こどものことを一番よく知っていて、理解していて、愛しているのもこのサイトを見ている人です。
今日初めて知り合ったカウンセラーでもないし、このサイトの管理人を含むネット上のカウンセラーサイトでもない。
学校カウンセラーや身近なフリースクールの先生でさえ、親ほどの愛情を持って接することは不可能なのは自明です。
それなのになぜ、「問題が起きた時、サイトや学校やいろんな人に助けを求める」のでしょうか?
「不登校」は「体重管理」(ダイ〇ットと書くとグーグル規約に引っかかる気がするので敢えて漢字にしました)と似ていると、管理人は感じています。
これをすれば〇キロ減少する、スタイルが良くなる、筋肉が着くなど、書籍、サプリメント、考え方、方法、あらゆるものが溢れ、その関連の市場は一体何十億円あるのでしょうか?
それでも、世の中から「体重の悩み」は消えることはありません。
新しい体重制限法が出るとすぐ世間はそれに飛びつきますが、どれもこれも一時的なもので、すぐ違うブームが来ます。
・自分が知らないだけで魔法の問題解決法が絶対この世に存在する!
・問題が解決しないのは、自分が努力していないからだ!
という考え方が一般的ですが、果たしてそれは正しいでしょうか?
もし魔法の解決法があるならば、それが世に広まった時点で世の中からは肥満問題は消滅しているはずですよね?
自分が知らないだけで、魔法の解決法がこの世に存在する、という考え方は、人をものすごく消耗させます。
なぜなら、それを知らないことが損な気持ちになるし、その情報を得るために努力してしまうことになるからです。
もし素晴らしい情報があるなら、それを手に入れたいと思うのが当たり前です。知らないことで損をすることがたくさんあると思いますし。「情報は力」て言うではありませんか?
情報は力、確かにその通りです。しかし、これだけ便利な世の中になって、お金持ちになる方法も体重を減らす方法も無制限にネットで得ることができますが、お金持ちや体重制限に成功した人は統計によると5%に過ぎません。
解決方法は自分とは遠く離れたところにあり、それを得て現実にするために自分をすり減らす、ということが、人生を消耗させることであることを、少しでも知っていただきたいです。
▼不登校を最も最短で解決させるには?
「不登校」は完全に受け止めた時点から変容を始める
少し抽象的な話から入ったので、これからは現実的な面からアプローチします。
「物事は完全に受け入れた時点で、収まるべきところに向かって変容していく」
ということです。
受け入れがたいほど苦しいこと、辛いこと、消耗することがあるとしたら、人はできるだけそこから目を逸らし、受け入れることを拒否しようとしてしまいます。
病気になってもそうですし、経済的な問題や人間関係についてもそうです。
目を背けたいこと、嫌で仕方がないことに対して、目を背けることに全力を注ぐと、問題が同じところに留まって動かなくなります。
不登校を例に挙げると、
こどもが不登校であることは受け入れがたいから、どうにかして学校へ行かせたい
と思って動いていると、その現実を親が受け入れるまでいつまで経ってもそこに留まり続けます。
おそらく、この問題を通り抜けた人がすべて感じていることですが、
この子は学校に行かないことが自然なんだ。
とごく自然にストンと理解でき受け入れた瞬間、事態は、自然に収まるところに向かい始めます。
この「自然にストンと理解できる」感覚は、思い込みや無理にそう思おうとしたのとは全く違う感覚です。
文章で書くと抽象的でわかりにくいように感じますが、本当に受け入れた本人にとっては
「霧が急にすっきり晴れた感じ」とか、「今までずっと探していたものがひょっこり意外なところから出てくる」ような感じで、何の抵抗もなく「そうだったんだ」と納得できる感じで、すぐにわかります。
完全に受け入れることは、努力とか思い込みとは別次元のものです。
受け入れたいな、どうにかして理解してあげたい、と長い間もがいてようやく受け入れる瞬間が来るときもあるし、比較的初期に「そういうことだったんだ」と受け入れられる人もいますし、こればかりは努力ではどうにもなりません。
受け入れられる瞬間が来たらすぐ受け入れられるよう、準備しておく
ことしかできません。
でも、待っていれば必ずそのときがやってきます。
受け入れて、行き着く先が「学校へ行く」ということでなくても、収まるべきところに収まっていく動きが始まりますので安心してください。
その「収まるところ」がもし「引きこもりニート」だったらどうしよう・・・・
そういうことを考えているうちは、「本当に受け入れた」とはいいがたい状態です。まだ起きてもない未来を心配することは不毛です。
今、現実としてこどもが何処にいて何をしているか、現実を受け入れることに集中してください。今を受け入れなくてありもしない未来を受け入れようとすることは荒唐無稽です。
▼子育ては、本来は延々と「こどもの本質を受け入れる過程」です。
親はこどもによって起きることを全力で受け止め続けるだけでいい
最終的にはここに落ち着きます。
こどもは親の思い通りには育たない。
およそ子育てをしている親にとって、このことは骨の髄から理解していることと思います。
もし思い通りに育っている、と感じることがあってもそれは錯覚で、たまたまそうなっただけで、そこに親の力や影響力は全く関係ありません。
立派な親からそうでないこどもが育つことは枚挙にいとまがありませんし、その真逆も良く見られることです。
親は結局、
「こども関連で起きてくる感情や出来事やすべての事象を、ひたすら全力で受け止め続けていく」ことしかできないです。
そしてこどもの「不登校」もある種、こどもからのプレゼントです。
歓迎できるものもそうでないものも、こどもが親に送ってくれるすべての出来事と感情は、その子しか与えてくれない大事なギフトです。
たとえ、自分の価値感からして歓迎できない類いのことでも、「ギフト」であることには変わりない。
その子がいないと感じることができなかったものを全身で感じ取ることが、親の醍醐味であり、たった一つの責任です。
時には、自分を否定されるようなひどいことが起きたりもするし、受け入れがたいことも次々と起きてくるけど、こども関連の出来事はすべて、「かけがえのない人生のギフト」であることには変わり有りません。
歓迎したくないことも受け止めて、「あなたがいたから思えることや感じること」「だから全力で受け止めて味わおう」と考えてみることで、少しずつこどもと心が通じ合うようになります。
こどもがものすごいエリートになり幸せになることもギフトですし、逆にものすごく親を悲しませるような出来事も、ある種のギフトです。
そのこどもがもたらすあらゆることを受け入れ、感じ、嬉しいな、有難いな、と思えるときが来たら、すかさず味わい尽くしてみてください。
今までとは違う景色が目の前に広がっていることと思います。
▼この子とは相性が合わないと思っても気に病むことはありません。
「ホ・オポノポノ」の考え方では、では、「すべての問題は自分の中にある」こと、「自分自身と仲良くなることですべてが最善な形に整えられていく」ということが説かれています。
すべての問題は自分の中にある、とは、「物事を受け入れることがすべて」という意味にも取れますね。自分がこどもの不登校を受け入れられていない場合、物事はそこから動かないんですよね?
不登校の場合、親がこどもの不登校を受け入れた瞬間に事態が動き出します。こちらは、経済的問題や「飢え」などの本能的なものよりも少し問題の根が浅いので結果が出るのも早いです。「所属」や「家族の在り方」「組織とのかかわり方」などに起因する比較的最近の記憶がベースになっていますので。
こどもにまつわることを「こどもからのプレゼント」だと思って味わい尽くす、そんな考え方でいいんですね。それならできるかも。
どんな結果が来ても、愛するこどもがもたらしたものだから受け止めてあげる、本当にそれだけでいいんですよ!
▼「不登校」の事象そのものをホ・オポノポノ的な観点から見たらどうなる?
まとめ
・不登校の解決方法は、外部には無く自分の心の中にある
・不登校を完全に受け入れると事態が動き出し、収まるところに収まっていく
・こどもがもたらす事象や感情は、すべてこどもからのかけがえのないギフト
こどもが何をもたらそうと、それが親へのプレゼントですので、親はそれを味わい尽くしましょう。
こどもは、その存在自体が、神様からのプレゼントです。
皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。
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