不登校児を持つ親へ~人生そのものが学校だから大丈夫です
こんにちは!親塾へようこそ。ここでは、不登校や子育てについての知識を増やし、「なるほどなあ」と思ってもらえる情報を定期的にお送りしています。
今回は、心がものすごく軽くなることをお伝えします。
過去に戻って、中学生ぐらいの自分にぜひ話してあげたいお話です。
まったく別の場所から客観的に見て、不登校お子さんとそのご家庭について、ぜひ率直な意見を述べさせてください。
▼このサイトの根本的な考え方はここに由来します!
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※反発を感じられたり、怒りを感じられる人もいると思います。そんな場合は、「そんな話もあるんだろうか」ぐらいに受け止めてください。
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Contents
学校に行かせないと学べることが少なくなる?
いきなり結論です。
親は、「こどもにいろいろ学ばせたい」と思って頑張ろうとしますが、そういう努力的なものは一切必要ないです。
例えば、学校に行ってないことで、学べるものが少なくなる、とか、もっと勉強させたい、とか、友達との関係を築けるようにしてほしい、など、いろんな学べる機会を失うんではないか、と心配になることもあると思います。
でも、大人なら、みんな本当は気づいているはずです。
「人間関係」とか、「お勉強」や「生活全般」で、「これができないとあなたが困るのよ」「あなたのためを思って言っているのよ」などと親に言われたことを思い出してみてください。
「できないと困ること」と親に言われて、後に、そんなに困りましたか?
そもそも、それらのことは学校でしか学べないことでしたか?
学校で学んだこともたくさんありましが、それ以前に、友達から学んだり、バイトや社会経験から学んだり、いつの間にか「身に付けさせられている」ことばかりではないでしょうか。
どんなことでも、大人になってもまだ学び続けることができますし、少なくとも「生きていく上で必要なこと」は嫌でも学ばざるを得ないようになっています。
だから、親がこどもに、
これを学ばせたい
学校に行かせないと学べない
と焦るようなことは全然ありません。
人生を生きていく上で、個人に必要なことは嫌でも学べるようになっていますので、安心してください。
仮に、学校に行ってなくて学べていないことがあったとしても、人生のうちでどうしても学ばないといけないことは、その段階が来れば必ず否応なく学ばされることになりますので親が焦る必要は全然ありません。
▼そもそも「学校」て何をするところ?
「これができないと将来自分が困るよ」と言われても
こちらも結論からです。
物事は、困ったときに学べばいいです。
実はこれも大人はみんな気づいていますが、
人間は、本当に困らないとそれを克服しようとは思わない
のです。
学びたい!という意志は、それができないと生きていけない!という強烈な動機が必要だったりします。
あなたのためを思って言っているのよ
できないと本当に困るよ?
と言って無理やり学ばせようとしたところで、たぶんあんまり身に付きません。
たとえ学校に行っていても、勉強というものはそんなに身につくものでもありません。
学校に行っていたとしても、「テスト」というプレッシャーがないとと家庭学習をする気力も湧かないのが普通です。
長い人生、「これは本当に困った」と思うことが必ずあります。
その時に、誰でも、「死に物狂いで学ぶ」ことができます。
毎日学校に行ってる三年間よりも、「死に物狂いの一週間」のほうが学べるものが多いこともあります。
▼学校に行く意味とは?
親が学ばせたいと思うこととこどもが必要とする学びは異なる場合がある
親はこどもにこれを学んでほしい、こういう人間になって欲しいという理想を持ってこどもに接します。
これはものすごく当たり前のことです。
人類は、親の世代が「こどもにはより良い未来を歩んでほしい」と願うことによって進歩してきました。
一方で、親が理想とすることや、親が学んで欲しいと思うことは、こどもにとっては不必要な学びであることもあります。
なぜなら、
こどもは、親とは全く別の存在
だからです。これを親はついつい忘れがちなんですが、こどもを自分の延長のように思ってしまうと、どうしても「こどもに学んでほしいこと」を押し付けてしまいがちになります。
学校にいかせたい
もっと勉強させたい
ピアノやスポーツで秀でて欲しい
このような願望をもし剥き出しにした場合、こどもの本質がそれらと無縁だったり不必要だったりすれば、却ってこどもの本質を歪めてしまうし、
親自身も不毛な努力をすることになるかも知れません。
親にとっては、こどもにとって大切なことを学んで欲しいと切実に願っているだけです。
願うのは大丈夫です。その祈りが今の社会を支えいるので。
でも、こどもに必要なものと親が身に付けさせたいものは、全く別物であることが多いので・・・
まとめ~どんな道を通っても、人は自分の本質を掘り進むようにできている
親の世代は、もう気づいていると思います。
こどもに限らず人間は、どう進もうとも、結局「自分の本質を掘り進む」ことに行くようにできています。
学者さんになる人は、たとえフリーターになったりしても結局学者になるような道に戻るでしょうし、
芸能人の親がこどもを歌手にしたくてデビューさせても、結局鳴かず飛ばずでフリーターになったりします。
たとえば不登校になったり、海外を放浪したり、回り道をしても、人は生きている限り必ず「自分の本質」に向かって歩むようにできているので、極論ですが、親が一生懸命に本質とは違う道に進ませようとしても、消耗するだけです。
親自身も、
「人間は一人一人違う人間である」ということを学んでいく必要がある場合もあります。
運命論者のような話になってしまいますが、人の本質とか、個々人の「学ぶべきこと」というのは、ある意味生まれつきなので、親は見守ることしかできないです。
こう思うことで、「自分が頑張らないといけない」というような肩の力が抜けて、楽になる親御さんもいらっしゃるのではないでしょうか。
学校と言えば、人生そのものが学校になっているので、こどものころ何年か学校に行っていなくても、本質を掘り進めることには支障は無いので安心してください。
皆さんに少しでもお役に立つ情報が提供できるよう定期的に更新していきます。
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